賞罰教育の是非について考える

updated at 1st February 2023

今年で二十二歳を迎える私奴が「教育の是非を〜」と題し、想いを綴るのは、きっと十年も二十年も早いんだと思う。ただたくさんの出会いによって育まれた倫理観や宗教観、そして教育的思考は、考えれば考えるほど楽しい。本日録では、自立に向けて動いている私奴が考える「教育」を書き留める程度で文字に残しておきたいと思う。

view of education

たくさんの考えや理論はあるとは思うが、まずは「母の教育論がとても好き」という話をしてこの記録を始めることとしたい。そして母の教育論が素晴らしかったと、正しかった(少なくとも私の人格形成や性格的に)と答えられるように、まずは大きくならないといけないね。

trust / consignment

私の両親が一つ徹底的に貫いたものと言えば、「委託主義」とでも言うのか、完全なる信頼と委任。これは、歪曲した理解をすれば放任主義ともなり得る、親としては難しい選択だったように思う。全ての選択を子に委ね、託しきる。ただその決断を放任するのではなく、見守り、時にはその決断をやり通すためにサポートをする。またその決断においてもたっぷりと情報提供を行い、その選択によってどんな結果に成り得るのかの共有。あくまでも親の敷いたレールを歩ませないのが私の両親、特に母親だったと思う。これは、一番時間と労力を要する教育方法のように思うし、それをやり遂げるにも中々な勇気が要るように思う。私は圧倒的優等生だったかと問われると全くそうではなかったが、事実、母はたくさんの"ママ友"から相談されては、その教育論の概要から、有用性を説明したが、やがては実践する"ママ友"はいなかった。いてもたってもいられないのであった。

追記します